2012年9月20日木曜日

開発に関わることの難しさ

今回は肝心のここでのインターンの話をします。
実は、元々参加するはずだったプロジェクトが予算不足の危機に陥ってしまった関係で、なかなか満足の行く活動が行えていませんでした。
同じプロジェクトのもう一人の日本人と、なんとか解決策を見出して状況を打開しようと試みたのですが、次から次へと障壁が表れ、なかなか結果を残すことができませんでした。
9月からは首都のロメにある別のNGOでの活動に移ることになり、
そこではHIV/AIDSの啓蒙活動や、街の子どもたちに英語とかんたんな日本語を教えるクラスを開いています。
そのNGOで活動の傍ら、元々滞在していた村に貢献する方法を模索中です。
問題は山積みでうまくいくかはわかりませんが…

今まで活動について書かなかった(書けなかった)のは、
自分で納得の行くような結果が活動ができていなかったからです。
今のNGOではそれなりに活動ができてはいますが、
元々やりたかったことと一致してはいないので、満足しているとは言い切れません。

わかってはいたことですが、開発に携わるというのは、
一学生にとって簡単なことではないと、ここで痛感させられています。

村に滞在していたある日のことです。
村に外国人が何人も滞在しているというのは珍しいので、
僕らが滞在していたsocial centerには毎日たくさんの子どもが遊びに来ていました。
その中の一人が苦しそうにしているので、おでこを触ると、ものすごい高熱を出していました。
村には病院も薬局もありません。
僕は医学生ではないので、当然彼の病気が何なのかわかりません。
おまけにフランス語すら満足に話せない僕と、
同じく現地語は喋れるけどフランス語はあまり得意でない小さな子どもでは
満足に会話もできず、症状を聞くことすらができませんでした。
僕にできたのは、その子を背負って家まで連れて行くことだけでした。
僕の参加していたプロジェクトでは、
保健衛生の分野で、薬局の建設と、廃墟となった病院の再建が目標とされていました。
薬局の方は、外観、内装はほぼ完了していたのですが、薬や、それを保管する冷蔵庫を買う予算が足りていませんでした。
幸い、その子は数日後、まだ少し熱はあったようですが、またcenterに遊びにこれるまでに回復しましたが、
問題が目の前に見えているのに、
自分にはどうすることもできないことが、特に強く実感される出来事でした。

インターンという立場ですので、
大きく開発に貢献できないのはわかっていましたが、
このまま何もできないまま、
トーゴでの滞在が終わってしまいそうなのがかなり悔しいです。

お金だけでなく、自分にフランス語のスキルだったり、開発に関する専門的な知識、経験があれば、
もう少し状況は変えられたのかも知れません。
ただただ自分の無力さを痛感すると共に、
なんとなくですが、帰国後、自分がしなくてはいけないものが、
ここでの滞在を通して、見えてきた気がします。

僕はちょうど1年後、大学の交換留学制度を使って、
1年間イギリスの大学に行き、そこで開発学を勉強する予定でいます。
その勉強を終えたあと、またこの地に戻って、
今回の後悔を取り返すことができたらなぁなんて考えています。
まだ先の話ですが。


0 件のコメント:

コメントを投稿